バンダイク・プリントによるメキシコ銀鉱山の記憶
Gallery SATORU 2005.6.9(thur)〜7.3(sun)

1986年から、何度となくメキシコ通いをしてきました。それはメキシコに残されている植民地時代の教会を撮影するためです。
植民地時代の建築物には16世紀初期に建てられた、まるで強固な要塞のようにみえる修道院・教会、太陽を信仰していた先住民を配慮して併設された開放型礼拝堂、そしてテキキと呼ばれる先住民の絵文字のある十字架、さらには17世紀、18世紀に建てられた絢爛豪華なバロックの修道院や教会があります。そうした教会建築ばかりを見てくると、スペイン植民地であったメキシコの繁栄に銀鉱山の存在が大きく関わっていたことに帰着してしまいます。
1521年、スペイン人征服者コルテスがアステカ帝国を征服すると、その被支配者から莫大な量の黄金をかき集めました。そうした黄金はスペイン国王への5分の1税を差し引いてからその征服に参加した兵士に分配されましたが、その金額は兵士の持ち出し分と比較しても微々たるものでしかありませんでした。「黄金の夢」を抱いた者たちは、その夢が果たせないと知ると、メキシコ先住民をアシエンダ(大荘園)やミネーロス(鉱山)で労働力として使い、利益を生むことを考え出しました。
「醜女が結婚するために、たいそうな持参金を用意しなければならないように、この荒れ果てた土地にキリスト教徒を導き神の教えを広めるために、この大陸は銀という持参金を用意していたのだ」といったのは植民地時代にアメリカ大陸にスペインから赴任してきたある副王です。その言葉に、コロンブスをはじめとする大航海時代の征服者の本音が見えてきます。
新大陸と呼ばれたアメリカ大陸の鉱山開発でひともうけを考え出したスペイン人たちは、それを自分たちの手で行えば問題なかったのですが、支配した先住民を強制的に鉱山に送り込み、奴隷のように彼らを働かせ、ついには死に追いやっていました。征服から半世紀後にはメキシコ先住民の人口は10分の1に減少しています。スペイン人が考え出した金儲けはまさに血の錬金術だったのです。
メキシコの鉱山町がユネスコの世界遺産に登録されています。ところが中世の趣のあるその町に滞在して豪華な教会などの建物を見学しても素直に喜べません。というのも所狭しとヨーロッパ風の建物が建てられたこの町並みは、かつて急な斜面に多くの坑口と1日中煙を立ち上げる溶鉱炉があり、その悪環境の中に建てられた掘っ建て小屋で先住民が寝泊まりして鉱山労働に従事していた時代のことをどうしても考えてしまうからです。
16世紀から19世紀まで盛んだったメキシコの銀鉱山も、今は操業しているところはほとんどありません。山は荒れ果て、もぬけの殻となって死の町となった鉱山もあります。
さて、バンダイク・プリントという写真の印画法が19世紀初期に開発されましたが、今日では過去のものとなっています。しかし、その色調は暖かで、しかも紙質も選べるので、私の好きな手法のひとつです。このバンダイク・プリントは私の古くからの友人で日本在住のアメリカ人写真家ウイン・ホワイト氏から伝授していただいたものです。
感光液はクエン酸第三鉄アンモニュウム、酒石酸、硝酸銀を蒸留水に溶かし込んで作くります。いたって簡単です。後はその感光液を好きな紙や布に塗布し、フィルムを密着して太陽光に5分ほど曝します。現像処理は水洗いだけですから、たいした装置もいりません。
デジタル写真と違って、これまでの写真技術ではフィルムにしても印画紙にしてもその感光剤として銀が使われています。私はバンダイク・プリントの感光剤を作るために硝酸銀の白く輝く結晶を天秤で計りながら、もしかしたら私が使っているこの銀がメキシコで掘り出されたものではないだろうかと考えてしまいます。何とも複雑な気持ちにさせられます。
この展覧会は長い間メキシコに通いながら発表する機会を待っていた作品で構成されています。今回、メキシコ歴史紀行「征服の十字架」(明石書店)を出版するにあたり、それに併せて発表する機会を得ました。この著作を一読していただければこの写真展の意義がいっそう理解されるものと思います。

最近、カメラの修理にはまっています。
デジタル・カメラが流行っている昨今、
今まであまりにもアナログ・カメラの存在が身近であったために、
ほったらかしになっていたカメラが急に気になりだしました。
私はしまい込んでいたカメラを引っ張り出してみたら、びっくり。
かびが生えているレンズや、シャッターが動かなくなっているものなどが続々出てきました。
これを修理に出したらたぶん相当な金額になると思い、私はしかたなく自分でやることにしました。
タイムリーにも、大関道夫氏の「やさしいカメラ修理教室」朝日ソノラマ刊を私はカメラ店で見つけ、
挑戦してみることにしました。
子供の頃から機械いじりが好きだったのですが、
ほとんどは分解してはみたものの、組立て終わってみれば部品が残るというようなしまつで、
果たして自分にもできるのだろうかと心配でした。
分解前にどの様な手順で分解してゆけばよいか虫眼鏡などを使って確認するようにとの、
大関さんの助言に従って、私は焦らず、ゆっくりと、
進めなかったら2、3日ほったらかしにして気長にやってみることにしました。
初めのうちは部品をなくしたり、
開いたとたんにバネが飛んでシャッター羽がバラバラになってしまったりと、
トラブル続きでしたが、最近は慎重になってきて、間違いも少なくなってきていると思います。
根気のいる仕事ですね。
カメラ・ボディーの皮(ビニール)がかび臭くなっているので、変えてみました。
ありきたりだとつまらないから模造の皮を売っている店で派手なものを見つけてきました。
そのせいで、誰もそれほど関心を示さなかったミノルタ・オートコードが、仲間内で一気に話題になりました。
「馬子にも衣装」と言うことでしょうか。(写真は変身したミノルタ・オートコード)
カメラの内部を開けてみて、改めてこの小さなメカニズムの美しさに惚れ込んでしまいました。
そして、こうした部品を組み上げる職人の技に、驚きと敬意を感じないわけにはいきません。

阿部修二のPHOTO EXIBITION が6月29日から7月5日までプランタン銀座で開かれました。大勢の方に来ていただき感激です。
ありがとうございました。

昨年10月に立ち上げたこのホームページでしたが、5月に大幅に改造しました。
Q、どこが変わったかって?
A、拡大写真が以前より大きくなりました。また、外観からはわからないのですが、構造が大幅に変わりました。
というわけでフレーム機能が付いていないブラウザでは見られなくなってしまうという不便も発生しているかも知れません。
ごめんなさい。
以前、マックを使っている友人宅で我がホームページを見て、がっくり。
というのもトップページの写真が点滅するようにプログラムを組んだのに動いてなかったからです。
ホームページがPC環境によって見え方だ違うものだということを実感しました。
また、プログラム上1文字違いでページが全く表示できなかったりするのにも閉口しました。
頑固者のPCと今でも闘っています。頑固者と言えばWINDOWSよりMACです。
WINDOWSはプログラムのわずかなミスなら許してくれるのですが、
MACは完璧主義で徹底的にプログラマーのプロであることを要求します。
ずーっと以前から「マン・マシン・コミニケーション」が叫ばれていましたが、
PCはやはりまだまだマシンよりであると実感しました。
さて、このホームページを大改造するきっかけはIMAGE SUPPLYがバッグデザイナー阿部真理さんの
オンライン・ショップMARIESAC(マリーサック)のホーム・ページを製作したことでした。
HPの基本デザイン、写真撮影、プログラミングをすべて担当しました。
この期間、苦しくも楽しい数ヶ月でしたが、得るところも沢山ありました。
その知識がこのHPに反映されているのです。そのやっと立ち上げたHPも是非見てください。(あ)
http://www.mariesac.com
ずいぶん前に、ニューヨークの骨董市で古いアルバムを見つけ、
10ドルでそれを手に入れました。
そのアルバムは1910年頃にアメリカ合衆国で生まれたブランシェ・カウフマンという名の女性のもので、
今日、彼女が生存しておられるかどうかは定かでありませんが、
生きておられたら100歳を間もなく迎える年齢になっておられるでしょう。
そのアルバムを最初に見つけたとき、
なぜ個人的なアルバムがこうした骨董市場に出てきたのか不思議でなりませんでした。
自分から手放すことは考えられないし、もし、彼女が不幸にして他界されていて、
身辺整理かなにかで骨董市に売りに出されたということも考えられますが、
家族がいたら家族にとって貴重な記録を手放すはずがありません。
何か彼女には事情があったに違いないとその時思いました。
私がそのアルバムを買い求めようと思ったのは、彼女への個人的な関心からではありません。
以前から古い写真をコレクションしていて、その延長でそれを買い求めようと思っただけです。
しかし、そのアルバムを開いて中を見ていくうちに、これは写真の歴史にとって貴重な資料になる
という確信を持ちました。というのも1906年と記された彼女の母親と父親の結婚の際に撮られた
と思われる写真が、百年たった今日でも色あせもせず残されているのにまずは感激したからです。
一方で、1935年頃のDP自動現像機械によると思われる写真が色落ちしていて、
見るも無惨な状態の写真があるのに落胆させられました。
発明当初から写真の保存性について危惧されてきました。
写真は、光りによって化学変化した物質を使っているために、長い年月によって画像が薄れてきて、
見えなくなってしまうのではという議論がずっとされ続けてきました。
写真を強い光りのあたるところに長時間さらしておくと、確かに画像の劣化が見られます。
しかし、それはどんな物質でもそうで、
古いポスターや古いプラスチィック製品が日焼けし、
本来の色が抜けているいるのを町でよく見かけると思います。
このアルバムから写真の脱色について私が感じたことは、
単にプリントが古い、新しいという経年によって決まるのでもなく、
プリントされた時代の技術レベルによるものではないということです。
百年もその輝きを失わずに存在するその画像は、
たぶんその後の百年も生き延びてゆく可能性を秘めています。
一方で、今から五十年ほど前の画像はこの先どのぐらい生き延びられるかはなはだ疑問です。
このように技術的に未熟と思われていた時代のものでもその
処理さえしっかりしていれば、写真の寿命は、結構長いことがわかっていただけるでしょう。
反対に、いくら高度な技術を持ち合わせた時代のものでも、
いい加減な処理をした写真の寿命は、以外に短いということです。
ニューヨークでは、早くも1920年代に、今日、日本でいうところのDP屋というシステムがあり、
それまで、アマチュア・カメラマンだけが楽しんでいた写真の門戸を、
写真技術などまったく知らない一般消費者に開きました。
そのアイディアを生んだのはコダック社で、
女性をターゲットにカメラと写真のフィルムの消費拡大を狙いました。
撮影した者が、あの臭くてやっかいな薬品に手を触れなくても写真が楽しめるようになり、
カメラがマニアばかりでなく、女性にも手軽に使えるようになった時代でした。
しかし、こうしたシステムは人任せであるがために、
写真の質を低下させる原因ともなったようです。
フィルムをDP屋に持ち込んでから1週間から10日程で写真ができあがったようですが、
例えば、お祭りやクリスマスなどの休暇明けには、
処理能力を超えた沢山のフィルムがDP屋に持ち込まれたために、
プリント処理がおろそかになるということが起きました。
実際にブランシェ・カウフマンのアルバムの1906年と1939年の写真を見比べてみて下さい。
この二枚の写真は最新技術が最も優れた技術だと自惚れてはいけないと、
警告を発しているように思えてなりません。
さて、話は変わりますがデジタル時代の今日、
写真の保存をCDやMOにしている人が 大勢いらっしゃることと思います。
この方法は写真の劣化を防ぐ上で有効な手段だと思います。
が、しかし、私はそれを過信してはいけないと思っています。
というのも、技術進歩が急速であるために、物のサイクルが非常に短くなっていて、
こうした媒体の再生装置の寿命が来た後に、問題が起きる可能性があるからです。
例えば再生装置を修理しようと思ったら、生産中止で保存部品が無いため修理不能といって
メーカーに断られる不当なケースが増えています。
かといって新しい媒体にコンバージョンするには手間と費用がかかります。
また、劣化しないと信じられていたCDは、傷で再生できないこともあります。
さらには、このような媒体は装置なしに内容を確認できないために、
保存管理がずさんだと、データの行方不明ということも考えられます。
将来的にも必要と思われる画像はデジタルによる保存とともに、
ブランシェのアルバムのようにプリントにして保管されるようおすすめします。
その際にはプリントをなるべく空気に触れないようにしてください。(S)
1906 Mother & 1939 Blanshe(center)
2003年6月7日(土)、
小平市中央公民館で若手モンゴル演奏家によるコンサートを開きました。
草原のチェロ馬頭琴、モンゴルの琴ヤタック、日本の「追分け」のルーツと呼ばれるオルティンドー、
そして一人で同時にふたつの音を出すホーミーなど、モンゴルの生の音楽に触れる機会のない我々に、
驚きと感激を与えてくれました。会場は予想をはるかに超えて立ち見がでてしまい、
立って聞かれた方にご迷惑をおかけしてしまいました。
会場はこんな状況でしたが、5人の演奏は最後まで観客の心を捕らえて放しませんでした。
観客の方に後で感想を聞ましたら、自宅に着くまであの不思議なホーミーの練習をして帰ったほど、
強く印象に残った演奏会だったとのこと。主催した我々は胸をなで下ろしています。
この5人のメンバーに改めてお礼を申し上げます。彼らは今、モンゴル、ウランバートルで後進の教育に
尽力されているそうです。
また、急遽このコンサートの準備に参加してくださった、小平モンゴル・タラ・コンサートの会の
メンバー、つまり私の友人たちに心より感謝します。
最後になりましたが、このコンサートを開催するきっかけを下さいましたNPO、
リ・アースの米山さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
リ・アースのURLはhttp://www.re-earth.netです。
(S)

photo by Kazuo Takizawa
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